寿美花代の長男の死去や若い頃の画像とWIKI風プロフや宝塚時代は男役?

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寿美花代の長男の死去や若い頃の画像とWIKI風プロフや宝塚時代は男役?について解説していきます。

俳優の高島忠夫さん(88)が老衰の為亡くなっていたことが28日に分かりました。

高島さんはとても優しく気配りをされる方で生前お世話になったと語る俳優の坂上忍さんも自身がMCを務める番組内で複雑な胸中を語っていました。

高島さんの妻は元宝塚で女優の寿美花代さんですがこの記事では寿美花代の長男の死去や若い頃の画像とWIKI風プロフや宝塚時代は男役?について解説していきますので宜しくお願いします。

 

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寿美花代さんの長男死去とは?

俳優の高島忠夫が5年ぶりにテレビ出演することでも話題を集めていたフジテレビ系「独占密着!真実の高島ファミリー『忠夫さん、死ぬまで一緒やで』~寿美花代 献身愛で闘う夫の病~」が18日、放送された。49年前の長男殺害事件について、高島の妻で女優の寿美花代が、自らの口で語り、今も事件の後遺症に苦しみ続けていることなどを明かした。

夫妻の第1子となる長男・道夫ちゃんが生後5カ月で殺害されたのは、1964年(昭和39年)8月24日未明。住み込みで働いていたお手伝いの少女A(当時17歳)が風呂に沈めて殺害。当初は室内を物色されたように装うなど、窃盗の仕業に偽装したが、同日昼ごろ、犯行を自供した。

寿美はこの事件を振り返り、「夜中に(お手伝いさんが)『道夫がどこでもいない』ってことになって、探し回った。一番最後にお風呂を…フタを明けたら、道夫がいた…。(道夫の周りに)泡がいっぱい出てて…」と生々しい状況を告白。「夜中2時すぎぐらいで、あちこち病院行ったけど、どこも受け入れてくれなくて。やっと1軒受けてくれた時には…」と声を震わせた。

出産後も女優業を続けていた寿美は、夜はAに子守りを頼んでいた。今も、手帳の奥に道夫ちゃんの写真をしのばせている寿美は、「私が一緒に寝てやらんかったから…。忠夫にそっくりでね…。なんで殺されなあかんかったのか、分からないんですけど…」と涙ぐみながら、後悔の念を吐露。「いまだに、お風呂っていうとシャワーしか浴びれない…」と事件から49年たった今も苦しみ続けていることを明かした。

また、事件後には、赤ちゃんの泣き声や、「ママー、苦しいよ」といういたずら電話が頻繁にかかってきて、さらに苦しめられたという。

※出典 デイリーニュース

高島忠夫さん夫婦は1964年3月に長男を授かりましたがその長男が雇っていた家政婦Aさんの犯行により生後5ヵ月という短すぎる人生に幕を下ろすという大変痛ましい事件が起きたそうです。

家政婦は警察から話を聞かれた際「当日夜に窓の外を不審な男が歩いてるのを見た」「長男が激しく泣いてるのを聞いた」などと証言したようですが警察が捜査を進める中で

  • 家政婦A以外に不審者を見た者はいない。
  • 家政婦A以外に長男の泣き声を聞いた者はいない。
  • 高島家では犬を飼っており、この犬は普段から不審者が近づくと激しく吠えるが、当日夜に犬は吠えていない。
  • 普段、全員が風呂に入り終わった後に家政婦Aが風呂桶の残り湯は抜くことになっていたが、この日に限り家政婦Aは風呂桶の湯を捨てていない。
  • 犯人が物取り目的で押し入ったのならば、生後わずか5カ月の赤ん坊に姿を見られたとしても、その歳の赤ん坊なら証人になるわけもなく殺すというのは不自然。
  • 長男を風呂桶に入れて、きちんと風呂の蓋を閉めて立ち去るというのも不自然。

などが不自然だと思い家政婦Aさんに問いただしたところ自身の犯行の犯行であることを認めたようです。

家政婦Aさんは高島夫婦にとても可愛がってもらっていたようですので事件当初高島夫婦は本当にショックだったのではないでしょうか?

 

家政婦Aさんは誰で年齢や裁判の判決内容は?

高島夫婦の長男に犯行をしたとしてその語起訴された家政婦Aさんは一体誰なのでしょうか?

事件当時家政婦Aさんは未成年という事で詳しい情報は公開されなかったようです。

事件当時家政婦Aさんは未成年だったのですが成人扱いをされたようで殺人罪で起訴され1965年6月に東京地方裁判所にて懲役3年から5年の不定期刑を言い渡されたようです。

事件後いたずら電話が相次いだ事や今でも事件のトラウマで浴槽に入れないなど本当に酷い話ですよね。心中お察しします。

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寿美花代さんのWIKI風プロフとは?

名前: 寿美花代(すみはなよ)

本名: 高島節子(たかしませつこ 旧姓松平)

生年月日: 1932年2月6日(87歳)

出身地: 兵庫県西宮市

血液型: AB型

職業: 女優・タレント

寿美花代さんは久松松平氏の流れをくむ名家に出生しその後芦屋高等学校を卒業後1948年に宝塚歌劇団に入団されました。

1963年に高島忠夫さんと結婚する為宝塚歌劇団を退団されその後は夫婦でテレビ番組に出演されることが多かったようで仲の良さが伺えますね!

寿美花代さんは高島忠夫さんとの間に次男で俳優の高島正弘さんと3男の高島政信も俳優として活躍されており芸能一家として知られています。

寿美花代さんには妹さんがいて松平三保の芸名で宝塚歌劇団に在籍し活動されていたようです。

姉妹揃って宝塚歌劇団に在籍するのはすごいですし中々無いケースなのではないでしょうか?

 

寿美花代さんの若かい頃の画像は?

 寿美花代さんの若い頃の写真を調査した所結婚式当時の写真が見つかりました。

寿美花代さんは今も87歳とは思えない程若く見えますが若い頃はすごく美人ですね!

これだけ美人さんなら男性ファンも多かったのではないでしょうか?

白黒写真が時代を表現していて良い風情を感じましたが夫の忠雄さんが亡くなり長い結婚生活に幕を下ろすことになりましたが寿美さんはどのように感じているのか気になりますね。

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寿美花代さんの宝塚時代は男役?

寿美花代さんは1948年に宝塚歌劇団に入団され月、星、声楽専科の順に配属されたようですがスターになったきかっけというのが『蜜蜂の冒険』の代役で主役ペーアに演じることが出来たのですがその代役となった理由がカツラが頭にあったからといった理由で人生何がきっかけで変わるか分かりませんよね!

その後も1952年に「猿飛佐助」で初主演を果たし1953年公開の「アンニー・ローリー」で宝塚新人演技賞を受賞するなど男役としてキャリアアップしていったようで人気、実力共にトップまで上り詰めていきその様を見ていた夫の忠雄さんは寿美さんの事を心から尊敬していたようで寿美さんに対し「一度も怒ったことが無い」とのエピソードを語っていました。

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ネットの反応は?

ネット上では寿美さんの忠雄さんに対する献身的な介護や過去について語る人が多く見られました。

高島忠夫さんが亡くなり壮絶な人生を歩まれている寿美さんでしたが寿美さんには息子さんの政宏さんと政伸さんがいるのでこの苦境をご家族みんなで乗り切ってもらいたいですね。

まとめ

今回は寿美花代の長男の死去や若い頃の画像とWIKI風プロフや宝塚時代は男役?についてまとめて来ましたがいかがでしたか?

寿美花代さんの長男事件や忠雄さんの重度のうつ病発症からの献身的な介護などとても一言で表すことが出来ない波乱万丈な人生を送られていますが夫の忠雄さんが旅立たれたことで今の心境はどのように思っているのでしょうか?

家族が一人いなくなってしまい今までとは違った日常を送っていくこととなってしまいましたが寿美さんには過去に囚われすぎずに前を向いて明るく過ごしていってもらいたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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